最愛の彼女に浮気された男の努力記

彼女に浮気されてフラれた車好き25歳。起業してお金持ちになってスーパーカー買ってもう一度彼女を振向かせるまでの記録。

「天才」という言葉で褒める人はバカか無能

何かすごい業績を成し遂げた人を「天才」と称賛することをよく目にする。

だけど、「天才」という言葉を使う人を、

僕は相当語彙力がないのか、想像力の欠如、もしくは無能なのかと思う。

 

ということで、「天才」という言葉を僕が嫌いな理由を書いてみたい。

 

 

1 天才なんて存在しない

 

天才なんてこの世に存在しないと思う。

どんなにすごい業績を成し遂げた人も、

それは一朝一夕に出来たわけではなく、かなりの努力をした結果だと思う。

そして、世の中にはあまり努力せずに大きなことを成し遂げてしまう人もいる。

しかし、それも自分の知らないところで人知れず努力しているはずだ。というのが自分の考え。

人間の脳の優劣なんて、個人差数%程度。

つまり、生まれ持ったそれぞれの能力に違いなどない。

偉業を成し遂げる人は、脳や身体の使い方が上手なだけ。

そしてその使い方を習得するまでの過程が常人には真似できないほど過酷なものであり、まるで生まれ持ったかのように錯覚させるだけ。

 

 

2 天才という言葉は自分の価値を下げる

僕が天才という言葉が一番嫌いな理由。

それはその言葉を使うことで自分の価値を下げるから。

世の中には、この人にはかなわないな。と思う人が必ずいる。

しかし、本当に自分はその人にかなわないのだろうか?

 

ここでそもそもの前提をひっくり返すが、

僕にとって「天才」がこの世に存在するかどうかなんてどうでもいい。

 

結論は、ただ僕が天才という存在を認めたくないだけ。

だって天才を認めてしまったら、自分がその人に届くことは絶対にない。

「天才」という言葉は、諦め。

どんなに努力しても、その人には追いつけない。と認めることになる言葉だと思う。

 

 

まとめ

他人を天才に仕立てるのは、

自分がどんなに努力しても無駄だということを正当化する逃げにしか過ぎない。

と僕は思う。

 

だから、僕はすごい人を見つけた時、

「天才」という一言で片付けるのではなく、

「すごい努力家なんだ。僕も負けてられないぞ!絶対に追いつく!」

と思うようにしたい。